-
『平清盛』 最終回「遊びをせんとや生まれけむ」2012.12.23 Sunday
-
JUGEMテーマ:大河ドラマ西行の庵にあらわれた清盛は、自分でもなぜここに来たのかわからぬ、と困惑します。
しかし、清盛は同時に平家の館で、一門に囲まれて最期のときを迎えていました。
熱に浮かされながら、時子や息子たちの前で立ち上がった清盛は、大声で命じます。
「わが墓前に、頼朝の首をそなえよ!」と。
ついに清盛は息を引き取り、みなは泣きくずれました。
後日、平家の館に清盛の弔いにきた西行は、清盛の姿に変身します。
そして、居並ぶ一門の者たちに、遺言として感謝の言葉などを残しました。
清盛の死は平家滅亡の始まりでした。
源氏との戦いに敗れ、都落ちを余儀なくされた平家一門は、ついに壇ノ浦の合戦へ。
知盛らの奮戦もむなしく、形勢が逆転して滅亡をさとった平家一門は、次々と入水します。
時子は、おさない安徳帝の手をひいて、船の上で言いました。
「海の底にも都はございましょう」と。
平家が壇ノ浦で滅亡した、という知らせは、鎌倉の頼朝のもとにとどきます。
その頼朝を、東大寺勧進の僧侶がたずねて来ました。
あらわれた僧侶は西行です。彼が語り始めると、なぜか清盛の姿になっていました。
そして頼朝に対峙し、その首をもらうと告げます。
しかし、頼朝は「そうはまいりませぬ」と拒否。それを聞いた清盛は笑いました。
そして、頼朝に武士の世を受け継ぐよう言い残したあと、その姿は西行にもどっていました。
「平清盛なくして、武士の世はこなかった!」
頼朝は、第1話で叫んだ言葉をくりかえしました。
しかし、大勝利で新たな歩みをはじめたはずの鎌倉体制も、すでに悲劇が始まります。
頼朝の構想を理解せず、京で官位をもらったりした義経の行為は許されませんでした。
頼朝は弟の追討命令を発し、奥州までのがれた義経は、そこで最期をとげます。
弁慶が奮戦して立ち往生するなか、義経は自決したのでした。
時代の流れがうつるなか、海底の宋剣をとった清盛の魂は、天にのぼります。
その顔は、老いた独裁者ではなく、大声で叫んでいた青年になっていました。
清盛に、「やっときたんか。遅いやないか」と、兎丸の声が聞こえます。
声の先には、時子や平家一門が、みなで待っていました。
平清盛は、その激しい一生を終え、懐かしい人々のもとへ駆けていきました。
いろいろ面白い面も、疑問な部分もある今年の大河ドラマも、ここに終わりました。
拙い記事を読んでくださった皆さん、そしてTBやコメントでお世話になった皆さん。
これまで本当にありがとうございました。
またこのような機会がありましたら、どうぞよろしくお願いします。
-
『平清盛』 第49回「双六が終わる時」2012.12.16 Sunday
-
JUGEMテーマ:大河ドラマとうとう、清盛と後白河院の長い双六も終わるときが来ます。
平家は、富士川の敗北や南都焼き討ちのため、追いつめられるばかり。
しかも、高倉上皇が21歳の若さで崩御となり、徳子は悲しみにくれました。
いっぽう、鎌倉の頼朝は、多くの武士団をしたがえ、それを御家人として組織します。
洞窟の頼朝を見のがした梶原景時も捕われてきて、直々に尋問されます。
ここで頼朝の器量を天下人と言った景時は、御家人の列にくわえられました。
頼朝は鎌倉の町づくりを絵図にして、義経や弁慶にまで見せます。
そこへ政子が、弟の北条義時をつれてきて、皆で絵図を見ました。
そんな明るい鎌倉にくらべ、六波羅の平家は沈みきっています。
そこへ、後白河院が朝廷のトップに復活するという知らせが。
復帰といえば、また京へきた西行が、藤原俊成をはじめ公家や女人を歌で魅了しています。
そして歌の会もおわって場をかたづける西行の耳に、彼を諷するような歌が聞こえてきました。
声の主は、なんと堀河局。長い黒髪は、すっかり白くなっています。
西行が堀河局の手をとったあと、翌日の六波羅に場面は変わりました。
清盛は、それからどうしたと西行にたずねますが、朝まで歌をかわした、という答えでした。
その後に清盛は、鎌倉の頼朝の動静を聞き、若い源氏のリーダーが武士の世を作る決意を知り、自分や義朝の後継者と感じたのか、目を細めます。
そして、夜に後白河法皇のもとを訪ねた清盛は、最後の双六勝負をもちかけます。
勝ったほうが、ひとつ負けたほうに要求をのませるという条件で。
賽の目をだしながら、二人ははじめて会った若き日の勝負から、保元・平治の乱、重盛の死などまで越し方を追想していきます。
最後に、清盛の賽が勝ちの目をだし、彼は後白河院に告げました。
「これからは武士が覇を競う世になりまする」と。
朝の光のなかを、ゆるりと去っていく清盛の背中を、後白河法皇は、無言でじっと見つめていました。
館に帰った清盛は、「熱い」と言い出し、盛国に「いまは1月ですが」と笑われますが・・・・・・。
西行の庵に清盛がひとり立ち、おどろく西行に「なぜ、ここにいるのか自分でもわからん」とポツリ。
同じころ、平家一門は、熱病にうなされる清盛の周囲に集まっていました。
ついに最後の時がきました。
予告では、壇ノ浦合戦や弁慶の立ち往生まであって、最終回はそうとう走るようです。
それにしても伏線回収の好きな大河ですね。
-
『平清盛』 第48回「幻の都」2012.12.09 Sunday
-
JUGEMテーマ:大河ドラマ命がけの諫言をした忠清は、盛国に介錯をたのみます。
しかし、盛国は忠清を叱り飛ばし、生きて平家の武勇の軸となれ、と命じました。
鎌倉に本拠をすえた頼朝は、反抗する佐竹氏を討つなど、順調に勢力を拡大しています。
自分に従う豪族には、領地の安堵と分配をはじめていました。
頼朝は、清盛の独裁ぶりを意外に感じ、あれが武士の世を作ることなのかと疑います。
その疑問に、なんと弁慶が答えます。
彼は鬼若といった若き日に、御輿に矢を放った清盛をじかに見ていて、その思い出を語りました。
この後で頼朝は、父の義朝と清盛がめざした武士の世は、自分が受け継ぐと決意したようです。
いっぽう西国では、公家だけでなく平家一門にも、福原から都を戻すとの考えが強くなっていました。
それでも福原に固執する清盛に、とうとう宗盛が献言します。
清盛は、それでも平家の棟梁か、と叱責しますが、これに宗盛は反論。
棟梁ゆえ、父上に申しますと涙で語り、これには清盛も言葉を失いました。
ついにその年の11月、都は京へもどされます。
清盛が父の忠盛、信西や多くの人々から受け継いだ事業は、斜陽のときを迎えました。
勢いづいた公家たちは平家を批判し、後白河院に朝廷の首座へもどっていただきくべき、と主張。
さらには、比叡山や南都の僧兵たちが、反平家の動きをあらわに。
これを鎮めるべく南都に出兵した重衡のひきいる平家軍は、激しい戦いに巻き込まれます。
しかも、その争いのうちに出火したため、東大寺をはじめとする多くの伽藍が焼けました。
これは決定的に平家への反感をまねき、一門も危惧しますが、清盛は判断しないまま。
南都から帰還した重衡は、「仏を焼いたのではなく平家に反抗する者を成敗したのみ」と断言。
清盛は、「ようやった」と褒めるしかありませんでした。
しかし、この事件の反響により、ますます平家は追いつめられます。
とうとう落日の平家にすべてを決する日がきます。
あと2回で、どうまとめるのか、清盛に救いのようなものはあるのでしょうか。
-
『平清盛』 第47回「運命の敗北」2012.12.02 Sunday
-
JUGEMテーマ:大河ドラマ治承四年(1180年)の九月、清盛は頼朝の挙兵を受け、出陣を命じました。
大将は、重盛の長男の維盛です。
そのころ頼朝は、石橋山の合戦に敗北しましたが、洞窟に隠れたりして落ち延び、再起します。
(洞窟の頼朝を、梶原景時が見のがすエピソードが、一応ありました)
このとき、多数の兵をひきいて来た上総広常の参陣で、ますます勢力をのばしました。
政子も合流し、大きな勢力となった源氏軍は、鎌倉に入ります。
奥州の義経も、藤原秀衡に懇願して出発し、頼朝のもとへ向かいました。
(なんだか喜劇めいたウィリアム・テルみたいな逸話がありましたが、主従の信頼話かな?)
清盛は、いまも福原遷都をあきらめず、平家一門にも不満が満ちています。
関東へむかう維盛の軍勢は、無理な行軍が兵糧不足などの事態をまねいていました。
そして富士川の夜営陣地で、平家は油断したまま休息します。
そして、源氏方の奇襲で飛び立った水鳥の羽音により、その軍勢はパニックに。
維盛の大敗をせ責める清盛でしたが、忠清は、おのれの命をかけて清盛に問いかけます。
忠清は、維盛さまは間違いなく平家のおのこ、むしろ清盛様こそ武士の魂が、なくなっておられぬか、と言い放ったのでした。
激怒した清盛は、宋剣で忠清を斬ろうとしますが、その重さで転んでしまいます。
あきらかに以前の武勇はない姿でした。
(ダメ押し?で、宋剣にはサビが点々とありました)
いっぽう、頼朝は京へ進撃を命じますが、したがう武将たちは反対しました。
やむなく頼朝も、この関東で反抗する者を討ち、根拠をかためると決意します。
そこへ、奥州から馳せ参じた義経が、面会をもとめてきました。
見知らぬ弟とはじめて会った頼朝は、笑顔で言葉をかけ、義経も感激します。
歴史の名場面とともに、平家の没落は、すぐそこに迫ってきました。
-
『平清盛』 第46回「頼朝挙兵」2012.11.25 Sunday
-
JUGEMテーマ:大河ドラマ令旨をみても立とうといわない頼朝に、しびれをきらした政子も声をかけます。
しかし、頼朝は「清盛どのの平家は、にわかな軍勢の勝てる相手ではない」と慎重な発言。
が、源三位頼政も参加すると聞いて、顔色が変わりました。
都では、知盛の病気見舞いに上洛していた清盛が、上機嫌で頼政に福原遷都を語っています。
その頼政は、清盛のいないときに、影のある笑みをもらしました。
知盛の病は、回復にむかっていて、まずは清盛も安堵します。
しかし、知盛は「都に軍馬が集められていると噂があります」という心配ごとを口にしました。
かくして、この調査から以仁王の令旨は、清盛の知るところとなります。
あれほど厚遇した頼政の反逆と知って激怒した清盛は、ただちに討伐せよと厳命。
まだまだ圧倒的な武力をもつ平家軍に、頼政らは包囲され窮地に。
頼政自身は、「いまだ清盛どのという人物がわからぬ」と言いました。
その後に頼政は仲綱とともに倒れ、以仁王も亡くなりました。
この事件も遷都ができてないからだと考える清盛は、福原へ都をうつすと宣言します。
しかし、その命令は伊豆にも伝わり、頼朝も覚悟を決めて挙兵しました。
多くの不満がうずまきますが、もう誰も清盛を止められません。
何もかも意のままにしようとする清盛は、あきらかにおかしくなってきました。
ついには、ささいな不満から、仏御前にさえ矢を向けさせます。
その時、とうとう盛国が立ちあがり、必死でこの暴挙を制止しました。
この直後に、伊豆の頼朝が挙兵したとの知らせがとどきます。
奥から宋剣を持ってもどった清盛の目には、かつての闘志がやどっていました。
今回は久しぶりに西行が出ていました。
ただ、相かわらず他人事みたいで、あまり清盛との若い日から批判するようにも思えませんでした。
やっと盛国が主君にものを言ったのはよかったですが、その姿勢がつづくのかな。
次回は、有名な富士川の合戦ですね。
-
『平清盛』 第45回「以仁王の令旨」2012.11.18 Sunday
-
JUGEMテーマ:大河ドラマ治承4年(1180年)、清盛は高倉帝に言仁親王への譲位をせまります。
いよいよ自分の思いどおりに政治すべてを行なおうという意志でした。
前から不遇を囲っていた以仁王は、先の政変で所領を奪われ、さらに不満をつのらせていました。
養母の八条院は、平家の専横に対抗するため、源頼政を味方にしようと考えます。
しかし、頼政自身は話にのってきません。
伊豆では、山木兼隆が時政をおとずれ、譲位の儀式のため租税がいると要求。
時政は、政子らと時がきたようだと語り合います。
が、頼朝のはなった矢は、的をはずれました。
同じころ、奥州・平泉では、義経が武芸にはげんでいました。
義経の矢は、みごと的を射ます。
二月には、ついに清盛の思いどおり譲位がおこなわれ。ここに安徳帝が誕生したのでした。
しかも、高倉上皇が慣例で参詣する寺社を、延暦寺でなく厳島神社と清盛が決めます。
これには、延暦寺が猛反発。仲の悪かった興福寺とも連携し、不穏な情勢に。
うろたえた宗盛は、知盛や重衡に軍勢を手配させます。
これで何とか事態は回避されましたが、清盛は、イライラするばかりです。
白拍子の祇王姉妹をはべらせて酒を飲む清盛。
また、子の宗盛も、重盛の死後まだ1年たたないのに、贅をつくした酒宴をひらきます。
時子にいさめられても、まともに聞きません。
そのあとに来た子の清宗は、宗盛が幼いころ忠正おじうえに作ってもらった竹馬を見せました。
これに記憶を刺激されて動揺した宗盛は、ちょうど来着した頼政の長男の仲綱から名馬をとりあげるという暴挙に出たため、さすがに頼政も憤激。
そんなおり、八条院は、頼政に新宮十行家という人物をひきあわせます。
こうして、以仁王の令旨を諸国の源氏に発するという計画ができました。
伊豆の頼朝は、この令旨に驚き、読み終わった手がふるえていました。
しかし、清盛は、仏御前という白拍子を寵愛し、福原遷都を考えていたのです。
いよいよ大逆転のときが迫ってきました。
盛国は憂いの表情ばかりでしたが、諫言しないままでした。
もうとことん同じ修羅の道をゆく覚悟なのでしょうか。
来週は、まさにふたたび動乱の始まりとなります。
そして最終章が幕を開けますね。
-
『平清盛』 第44回「そこからの眺め」2012.11.11 Sunday
-
JUGEMテーマ:大河ドラマ伊豆の頼朝は、もう政子とのあいだに大姫をもうけました。
時政も、佐々木らの危惧する声を受け流し、「平家の世も長くないはず」と、預言者みたいに時代をみすえたようなことを言って落ち着いています。
(この時点では、都の平家に知られないようにするとか、用心していたと思うのですが)
京では、重盛が病の床にいたとき、藤原基実にとつぎ、その亡き後は子の基通を養育していた盛子も病にたおれていました。
後白河院は、関白の基房をよび、摂関家の領地を平家から取り戻す策を告げます。
福原の清盛は、そんな法皇の動きが気になっていました。
京では基房が時子のもとを訪ね、所領をかえしてくれと言います。
しかも、盛子は摂関家の領地をうばった罰で、いまの病になったとも。
盛子の所領は、いったん後白河院が預かることになりましたが、これも策謀の一環でした。
平家一門の会議で、重盛が病気である以上は代理がいるとの提議がでます。
時忠は宗盛をおしましたが、伊藤忠清らは重盛の嫡男である維盛をおし、対立が始まります。
重盛自身は、子らや一門を枕元にあつめ、わが亡きあとは兄弟が力をあわせよ、と伝えました。
その重盛を、後白河院は六波羅にきて見舞い、彼の忠義をほめます。
重盛は法皇にも平家の今後をたのみますが、法皇の返答は意外なものでした。
双六勝負で勝ったら、その願いを聞き届けよう、というのです。
かろうじて身を起こし、フラフラの手で賽をふる重盛を、法皇は笑って急かしました。
そのとき、部屋に清盛があらわれ、重盛に駆け寄ります。
そして、その衰えた身をささえ、法皇をみらみます。
後白河院は、重盛の幼い日に、清盛と双六勝負をした時のことを語ります。
幼い重盛のふる賽に、勝負をじゃまされたことも。
清盛は、大声で法皇に「去ってくだされ!」と言いました。
その後、ついに重盛が亡くなると、後白河院はその所領をすべて没収しました。
怒りにふるえる清盛は、ついに軍勢をひきいて上洛します。
朝廷の変革を断行することにした清盛は、基房を関白からおろし、基通をその地位につけました。
さらには、高倉帝の名のもとに反平家の公卿を追放し、領地を没収します。
そして、11月には後白河院を鳥羽殿に幽閉しました。
これが治承三年の政変といわれる事件です。
祇園女御に、「そこからの眺めは、いかがでございますか」と聞かれた清盛は、答えました。
「いたって、良い眺めにございます」と。
祇園女御は、「もうお会いすることもありますまい」と言って、清盛の前から去りました。
(このひとは前回で病にたおれたように見えましたが、なんだったのでしょう?)
文字どおり頂点にのぼった清盛は、徳子のもとを訪ねました。
そこでは、幼い親王が、障子に穴を開けたのを喜んだ清盛は、これをとっておけと命令。
さらには、うれしげにその穴をのぞきます。
しかし、幽閉されても笑っている法皇は次なる策を考えついたようでした。
いよいよ権勢の頂点にたった清盛は、かえって足元が見えなくなったようです。
源氏の挙兵は、すぐそこまできました。
-
『平清盛』 第43回「忠と孝のはざまで」2012.11.04 Sunday
-
JUGEMテーマ:大河ドラマ鹿ケ谷の陰謀は崩壊したとはいえ、西光が残した弾劾の言葉は、重くひびきました。
重盛は、軟禁された成親に「なぜ、こんなことをされた」と問いかけます。
その答えは、落ちぶれぬように気をくばって一生を終えるのは面白くない、というものでした。
重盛は、それでも清盛に成親の助命を嘆願します。
重盛の必死の願いにより、成親は備前へ、俊寛らは鬼界ヶ島へ流罪となりました。
しかし、成親は配流先で食事をもらえず、餓死してしまいます。
憔悴した重盛は、清盛に問いただしますが、とりあってもらえず指示を受けました。
洛中洛外の寺社に、中宮へ御子がさずかるよう祈願するのだ、と。
そのころ、伊豆では頼朝が、北条時政に政子を妻としたいと願っていました。
時政は「伊東家の八重姫のようにする気か」と問い詰めますが、頼朝はこれを否定。
東国の武士の頂点に立つ、とまで言い切ります。
政子も「そのお志をささえたく思います」と言い、さらには藤九郎が「時政どのは作物を育てるのがお上手。その手で頼朝さまも」などと、主人を野菜に比喩してまでうったえます。
ついに時政は「青く心もとない苗だが」と、言いつつ折れました。
さらに京では、遮那王が常盤に会って、別れを告げました。
弁慶とともに、奥州の覇者・藤原秀衡をたよるため旅立つと。
そして尾張に入った遮那王は、父の義朝が最期をとげた場所で、自ら元服すると決めます。
そのとき、弁慶は懐から「義経」とかかれた紙を出しました。
それは、常盤から預かったものだったのです。ここに史上屈指の英雄の名が生まれました。
治承2年(1178年)11月、ついに徳子は男子を出産しました。
清盛は、もう有頂天ともいえる気分で、挨拶にきた源頼政にも三位の官位を与えます。
この皇子はすぐ東宮となり、清盛は一門に驚くべき宣言を。
それは、法皇をこの館にお迎えする、つまり幽閉するという決意でした。
一門が武装するなか、重盛ひとりが平服であらわれ、清盛をいさめます。
それでも清盛が聞き入れないので、重盛は涙を流して慟哭しました。
「忠ならんと欲すれば孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず。進退きわまれり。かくなるうえは、この重盛の首を召されそうらえ!」
これには、さすがの清盛も押されました。
かなしい嫡男の凄絶な嘆きでした。
次回、いよいよ重盛の最期がきます。
同時に、平家の決定的な没落がはじまりますね。
< 前のページ | 全 [7] ページ中 [1] ページを表示しています。 | 次のページ > |