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『坂の上の雲』 最終回「日本海海戦」2011.12.25 Sunday
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ついに決戦のときは来ました。
東郷司令長官の指揮でターン戦法を開始した三笠と艦隊に、ロシア軍の砲弾が降りそそぎます。
しかし、この10分間に耐えたのち、敵艦隊の進路を完全におさえた連合艦隊は一斉に砲撃を開始。
強力な下瀬火薬を装填した日本海軍の砲弾が、次々とロシア軍艦に命中します。
旗艦スワロフの甲板や側面にも砲弾は命中し、艦内は火炎に包まれました。
日本側にも被害は出ますが、集中砲撃を受けるロシア艦隊のほうがダメージは大きいようす。
戦艦オスラビアは巨体を傾けて沈没し、他の艦も火災や爆発が起こり、まさに地獄の様相に。
司令官ロジェストウェンスキーは重傷を負い、担架で移送されるとき、指揮権をネボガトフ提督に譲るとつぶやきます。
夜に入り、散り散りになったバルチック艦隊の残存艦を、今度は日本の駆逐艦と水雷艇が攻撃。
真之の古い日本水軍から学んだ戦術の応用で編み出した、七段攻撃の戦法でした。
翌朝、ネボガトフ艦隊を発見した日本側は、これを激しく攻撃します。
その後、ロシア旗艦に降伏の信号旗があがりますが、東郷長官は攻撃を続行。
真之は「武士の情けです。砲撃を中止してください!」と長官に具申します。
しかし東郷は冷静な表情で「降伏なら機関停止するはず。敵艦隊はまだ進んでおる」と答えました。
そのあと、ついにロシア艦隊も全艦停止し、日本側も砲撃を中止。
真之は降伏交渉のため敵艦におもむき、恐るべき被害を目の当たりにして、戦死者に合掌しました。
東京では家族たちが心配していましたが、号外が発行され、みなが連合艦隊の勝利を知ります。
母のさだは、次男が心配でしょうがないようで、その勝報にふかく安堵しました。
が、満州に駐留する好古のもとに電報がとどき、彼はさだが永眠したことを知ったのでした。
津田沼駅に降り立った真之は、母の臨終にまにあわなかったことを悲しんでいます。
それからの真之は、やや神経が不安定となり、海軍を辞めるなどの言動も。
陸軍の敗北につづくバルチック艦隊の大敗報道後は、ロシア国内に厭戦気分が満ち、もはや革命前夜の情勢となりました。
ここでついにロシアも、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の提案を採択し、ポーツマスで講和会議が始まります。
しかし、ロシア代表のウィッテは強硬姿勢と巧妙な外交戦略を使い分け、当時の国際社会では一般的だった賠償金もさっぱり認めず、この結果に怒った日本国内では民衆の暴動が相次ぎ、日比谷では焼き打ちが発生。交渉代表の小村寿太郎は非難のまとに。
内地に帰った乃木将軍は、戦地の軍服のまま明治天皇に報告するため参内し、児玉源太郎から「その格好でいいのか」と笑いかけられます。
乃木は「このままでいい」と言って去りました。
真之の名文による連合艦隊解散の辞は、東郷長官により読みあげられ、ここに海軍も帰還しました。
真之は、根岸にある正岡子規の家をたずねて中へ入らず、そのまま彼の墓参りをします。
後日、好古は久しぶりに真之と海釣りに出て、めずらしく弟を褒め、真之にも笑顔が戻りました。
そんな平和な風景のあと、真之は49歳で生涯を終えたことがナレーションで語られ、また好古は陸軍を大将で退役したのち、故郷の松山で中学の校長に就任。
昭和初期まで生きた好古は、死の床についたとき、うわごとで「奉天へ」と言って亡くなったそうです。
長いドラマは、ここで幕を閉じました。
本当に見ごたえのある作品でした。
願わくば、またこのようなドラマを、大河でもスペシャルでもいいから見たいものです。
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『坂の上の雲』 第12回「敵艦見ゆ」2011.12.18 Sunday
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旅順港内のロシア艦隊を、二百三高地の占領につづく猛砲火で撃滅したことで、連合艦隊は不断の監視任務から解放され、バルチック艦隊の迎撃にそなえる準備と猛訓練に入りました。
真之は、久しぶりに家へ帰ります。
母や妻は、みな変わらず迎えてくれますが、さすがに戦争のゆくえを訪ねる場面も。
いっぽう、凍りつく満州平野では、ロシア軍の大攻勢がはじまります。
のちに黒溝台会戦とよばれた冬季の激闘は、ペテルブルクから来たグリッペンベルク将軍が企図したもので、手薄な日本軍の左翼を包囲殲滅し、ついには全日本軍を撃破するのが目的でした。
もしこれにクロパトキン司令官が充分な支援をおこなったら成功したはずといわれたこの攻勢は、しかし意外な結末に向かいます。
そのひとつは、クロパトキンの消極姿勢で、充分な圧力をかけないまま左翼部分への攻勢のみが進行したこと、そしてもうひとつはその左翼陣地の部隊、すなわち秋山騎兵旅団の奮戦でした。
好古の主力だけでなく、豊辺大佐の陣地や他の部隊にも、恐るべき大軍が雪原を埋めて襲い掛かってきたのを、わずかな日本軍は必死に防戦・撃退します。
好古も作戦というより「固守せよ」と命じるしかありませんが、状況は刻々悪化していくばかり。
満州軍総司令部は、まさかこの厳冬期に大攻勢などありえぬはず、と思い込んでいたので、いきおい増援や手当てがすべて後手になりました。
しかし、ロシア軍は冬将軍を味方にするのが十八番であり、この時より90年前にはナポレオンのフランス大陸軍がこれに敗北し、のちのことですが第2次大戦ではヒトラーのナチスドイツ軍も、モスクワ前面でやはり壊走するほどのものです。
そんなロシア軍の攻勢を、馬を後方につなぎ塹壕にこもった騎兵が、歩兵や野砲の援護と、なによりも旅順では日本軍を苦しめた機関銃を装備していたおかげで、からくも阻止しました。
ようやく敵の本格攻勢であると気づいた児玉総参謀長は、思い切った増援を送り、はては中央部の師団を引きぬくといった非常措置で対処します。
かろうじて敗北をまぬがれた日本軍は、いよいよこのあと奉天の大会戦に突入するのでした。
ここでも豊富な兵力のロシア軍に押されがちの日本軍は、当初はあてにしていなかった乃木将軍の第三軍を包囲運動させる窮余の一策をせざるをえず、総司令部の松川参謀は、乃木軍の津野田参謀に「何をしている。猛進せよ!」と命令し、しかもその動きが鈍いと不満を述べて「もともと第三軍に多くを期待してはいない」と非情な言い方で批判します。
津野田参謀からこれを聞いた乃木将軍は、顔色を変えないままでしたが、辛そうでした。
それでも、ここで児玉から特命を受けた秋山騎兵旅団が、常識ではありえない速度で北進し、遠く奉天への鉄道線路をおびやかします。
神経質なクロパトキン司令官は、この奇襲と前面の日本軍が猛攻撃してくるのに動揺し、敵の予備兵力を過大評価したり後方に不安を感じたりして、ついに撤退を決意しました。
後退して戦線を整理してから反撃する、というクロパトキンですが、部下の幕僚たちは、けげんな表情で無言のままです。
この信じがたいロシア軍の行動で、かろうじて決戦は日本軍の勝利となりましたが、これが陸軍の限界と感じた児玉は、大山に「内地へ帰ります」と告げました。
このあと、二人で平原にのぼる朝日に祈る姿が印象的でした。
いよいよ次は海軍の番。
必死の猛訓練に明け暮れる連合艦隊は、バルチック艦隊の進路を予想するのが難しく、秋山真之さえも神経質になっていきます。
東京の大本営でも、津軽海峡にくるなどの予想が出て、東郷司令官に転進を命令すべきと考える参謀までいますが、海軍大臣の山本権兵衛はこれを叱りつけ、作戦はすべて東郷に任せると断言。
その東郷は、真之に聞かれると、「敵はこの対馬に来る」と、冷静に断じました。
その直後、警戒中の信濃丸から、バルチック艦隊が対馬沖に出現したとの無電報告が。
この電報に、真之は「天気晴朗ナレドモ浪高シ」と後々まで有名になる一文を書き加えました。
そして旗艦三笠以下、連合艦隊は軍艦マーチにのって出港。
バルチック艦隊では、皇帝の戴冠記念日をロシア正教の儀式で祝っており、司令官のロジェストウェンスキー提督は、三笠を先頭にした日本艦隊の接近を余裕でながめていました。
日本艦隊では、水兵たちが負傷時にそなえて風呂に入り、衣服を清潔なものに着替えます。
さらに掃除した甲板には、血ですべらないよう砂がまかれるといった用意も。
とうとうバルチック艦隊を双眼鏡にとらえたとき、三笠艦上では司令官が中へ入るよう幕僚たちが進言しますが、東郷平八郎は「わしは老人じゃ。若いおはんたちこそ入れ」と言い、加藤参謀長は自分と秋山が残ると指示。
さらに、艦長は「どちらでいくさをなさいますか?」と聞くと、東郷はゆっくり手を振りました。
「取り舵、いっぱーい!」と、艦長が命令し、ここに丁字戦法が開始されます。
ロシア艦隊では、側面を見せてくる敵艦に喜び、ロジェストウェンスキーは「黄金の10分だ。総攻撃せよ」と命令。運命の時は迫りました。
3年にわたるこのスペシャルドラマも、いよいよ最終回へとむかいます。
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『坂の上の雲』 第11回「二百三高地」2011.12.11 Sunday
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旅順要塞を陥落させられないまま、バルチック艦隊の出撃を知った日本側は焦慮がつのります。
第三次攻撃は、ついに決死隊を投入するという戦術とはいえない方法が採用されることに。
その名は白襷隊。白いタスキをかけ、文字どおりの正面突撃を次々と敢行しました。
その結果は、前にもましての屍の山・・・・・・。
各部隊が消えていくほどの損害を受けた後、すべての攻撃は頓挫します。
この報告を受けた第三軍司令部には重い沈黙が。
とうとう乃木将軍は、攻撃の重点を二百三高地にむけると決断しました。
三笠艦上の秋山真之は、さらに焦りがつのり、同僚に食ってかかって参謀長から叱責されるはめに。
そして、満州軍総司令部の児玉源太郎は、ついに決意します。
自分が旅順におもむき、乃木将軍の替わりに指揮をとることを。
このことを大山元帥に進言すると、総司令官はわずかな問答ののち許可しました。
松川参謀は、児玉の行為は軍の秩序をこわすものだと反対しますが、児玉はひと言。
「秩序を守って、国がほろんでもいいのか」と。
かくて児玉は列車中の人となり、その間にも乃木軍は多くの犠牲を出します。
そのなかには、伝令に出てロシア軍の砲弾で戦死した乃木の次男もいました。
その少し後、瀕死の小部隊が二百三高地にとりつき、「占領せり」の報告が司令部や児玉に。
しかし、喜んだのもつかの間。わずか40名の兵士は、多数で反撃にでたロシア軍により全滅。
児玉は、怒りと決心の表情で、旅順へ到着。そのまま視察に出ます。
そして、作戦の大転換を命じたのでした。
それは、二百三高地を集中攻撃するのはもちろん、奪取後は周辺へ猛烈な制圧砲撃をするもの。
第三軍の伊地知参謀は、それは味方の兵士をも撃つはず、と反対しますが・・・・・・。
ここで児玉は、「なるほど、その砲撃は味方の犠牲も出すだろう。だが、その被害は、このまま正面作戦を続けていくよりはるかに軽微だ。そういう杓子定規な考え方で、今までどれだけの兵士が死んでいったか!」と一喝しました。
こうして集中攻撃に援護の猛砲撃、そして迅速な移動はむりと専門家がいっていた28サンチ巨砲を膨大な努力のすえに配備。この巨砲が火ぶたを切り、決死の大攻勢が開始されました。
作戦の転換で、しだいに日本軍が要塞を圧倒。ただし、それは凄惨というも愚かな白兵戦・肉弾戦のあげくにもたらされた成功でした。
塹壕に突入した日本兵たちが、これも決死の防衛戦闘にでるロシア兵と、銃剣はおろか素手で殺戮しあうシーンは、とてもテレビ画面とは思えません。
そんなおびただしい犠牲と必死の努力のすえに、二百三高地は完全占領され、電話線が頂上へ。
児玉が「そこから旅順港はみえるか」と聞いた受話器の向こうからひびいた答え。
それは「見えます! 丸見えであります!」という待ちに待ったものでした・・・。
すかさず、28サンチ砲は湾内のロシア艦隊へ正確かつ激烈な砲撃を開始。
ここに、旅順要塞の陥落が決まり、連合艦隊も安堵しました。
しかし、バルチック艦隊は喜望峰をまわり、シベリア鉄道は満州のロシア軍を大増強します。
陸海ともに決戦のときは迫りました。
ほんとうに見るのが辛いほどの戦闘場面ばかりでした。
よくここまで再現したものと驚きます。
でも、今回は児玉源太郎がまだ13歳のとき、長州藩士の父が斬り殺された追想シーンも衝撃的で歴史の断面をみるような感慨をおぼえました。
こうした幕末の激しい葛藤を経て、明治の時代や人物が作られていったのだと感じさせられます。
来週は、いよいよ奉天の会戦とバルチック艦隊の来航。まさに正念場です。
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『坂の上の雲』 第10回「旅順総攻撃」2011.12.04 Sunday
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決死の閉塞作戦も完全ではなく、旅順港のロシア艦隊はまだ健在です。
この要塞に守られた艦隊を撃滅するため、海軍は陸軍との作戦会議を開催。
秋山真之は、二〇三高地を落として観測点を置けば、湾内の艦隊を砲撃できると主張しますが、この策を陸軍は採用しません。
(後半の場面ですが、真之はこの作戦を推進したいあまり戦艦三笠から飛び出そうとして、上官の島村参謀長に強くたしなめられます。真之の焦りもわかるのですが、難しいところでしょう)
結局、要塞そのものの攻略を目的として陸軍は乃木将軍の第三軍に攻撃を命じたけれども、多くのトーチカと機関銃陣地に塹壕線で固められた近代要塞は、全て正面攻撃を撃退し、大変な犠牲が出ました。
いっぽう、満州平野でロシア陸軍と対峙する日本陸軍の主力は、秋山好古が自ら伝達した偵察騎兵の報告をもとに、弾薬不足に悩みながらも奮闘。
クロパトキンのロシア軍を遼陽から撤退させました。
秋山支隊と呼ばれる、好古指揮の遊撃機動作戦も、効果をあげたようです。
しかし、この勝利を冷淡に報道する欧米世界のため、ロンドンで日本の戦時国債をもって軍資金調達にはげむ高橋是清は、かなりの苦境に。
このとき、帝政ロシアのユダヤ人弾圧を危惧するユダヤ系アメリカ資本家のヤコブ・シフが、多額の資金援助を申し出ました。
「世界は複雑だ」と、是清はロンドンの暗い下町を走る馬車でつぶやきます。
(最前線の凄絶さもリアルでしたが、繁栄しているはずの大英帝国の首都が意外な貧しさとともに描かれ、この映像にも深みを感じました)
旅順では二百三高地を少し攻めたものの、かえって防備を強化されただけになり大苦戦。
満州軍参謀長の児玉源太郎は、乃木将軍のもとを訪れ、攻略を督促します。
が、いぜんとして同じ正面攻撃を続ける第三軍の損害は、大きくなるばかりでした。
そのころ、ロシアでは皇帝の命令により、いよいよバルチック艦隊が極東へ向け出撃します。
ものすごい迫力の画面と、目が離せない俳優陣の熱演でした。
次回は、さらに凄絶で奥深い物語となりそうです。
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『坂の上の雲』 広瀬、死す2010.12.26 Sunday
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JUGEMテーマ:エンターテイメント明治37年2月、ついに連合艦隊が出港。
ロシア太平洋艦隊のいる旅順港にむかいます。
まずは駆逐隊が夜間に突入して魚雷攻撃する作戦。
ロシア側は旅順総督府も艦隊も油断しており、総督府ではダンスパーティの最中でした。
しかし、奇襲によったこの攻撃も、敵を驚かせたものの大きな戦果はなし。
参謀の有馬中佐は、米西戦争にならう港湾閉塞作戦を提案します。
が、これの実戦を観戦武官として見た秋山真之は、否定的な見解を述べて対立。
東郷長官は、とりあえず夜間に志願者のみで実施すると決断しました。
広瀬武夫も閉塞船舶に乗りこみ、指揮をとります。
不安な表情の真之に、広瀬は「お前の立てた作戦を信じる」と断言しました。
広瀬は、「尊敬するロシア海軍将兵諸君へ」などと自分の名を記した文の横断幕を艦船につけ出撃。
後世の戦争では考えられないおおらかな行為です。
湾内のロシア軍には、勇猛で理論家のマカロフ提督が着任しており、特に厳しい警戒を実施。
その警戒網に見つかった閉塞船には、砲弾の雨がそそぎます。
なんとか爆破準備をして脱出用ボートにきた広瀬は、杉野上等兵曹がいないのに愕然。
ひとり猛火の艦内へ、部下を探しに引き返します。
が、決死の呼び声もむなしく杉野は行方不明。
やむなくボートに戻った広瀬は、兵士たちにオールをこがせて離れ、爆破スイッチを押しました。
弾雨の海で部下将兵を励まし、後尾に立って号令する広瀬の心には、ロシアでの思いでが。
アリアズナに日本語を教えた記憶が浮かんだその時、上空に砲弾が飛来。
部下が広瀬のいた場所をみたとき、その姿はもうありませんでした。
旅順にはボリス少尉もいて、広瀬の横断幕で遺骸をつつみ、ロシア海軍による埋葬に立会います。
中立国を通してこの報がペテルブルクに伝わると、アリアズナは敵国士官である広瀬のため喪に服しました。
日本国内では正岡律が開戦の号外に衝撃を受け、秋山好古は騎兵第1旅団の訓練を続けています。
日本騎兵の戦力をおぎなう機関砲も装備完了し、いよいよ大陸の戦場へ。
また1年この続きを待つことになります。
今回は風邪気味でもあり、なるべく簡単な記述にしました。それでも長くなって大変(笑)。
皆さんも多忙な年末年始、どうぞお体にきをつけてくださいね。
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『坂の上の雲』 日露開戦2010.12.19 Sunday
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JUGEMテーマ:エンターテイメント日本とロシアの関係が悪化する中、秋山好古は騎兵第1旅団長となります。
そして、視察先でコサック騎兵と交流しました。
腕相撲に興じたり、ウォッカで乾杯したりと、屈託のない両者。
それでも開戦のときは戦わなければならない間柄ですが、それを名誉とも思う時代でした。
弟の真之は、海軍の戦術教官から連合艦隊の参謀に昇進。
この兄弟は、老いた母のもとに妻や親族とともに集い、つかの間の団欒を楽しみました。
が、その席で好古が真之に渡した走り書きには、一家の消えゆくことまで覚悟した文面が。
その内容を母に聞かれた真之は、本当のことが言えずに笑ってはぐらかしました。
開戦を覚悟したのは、政府も陸海軍首脳も同じ。
海軍大臣の山本権兵衛は、連合艦隊司令長官に舞鶴の東郷平八郎を任命。
これを憤って抗議し、自殺する勢いの旧友である日高提督を、権兵衛は必死で止めます。
東郷を任命したのは、才能より運と器を買ったのであり、日高をはずしたのはその独断専行ぶりを危惧したためでした。
ロシアでは開戦準備が進むと同時に、首都ペテルブルクでさえ革命派の反政府活動も続発。
日本大使館の駐在武官である明石元二郎は、これを探りながら諜報活動に励みます。
ポーランドを強権支配し、北欧諸国にも脅威をあたえる帝政ロシアの内部で・・・・・・。
のちにヨーロッパ方面から極東地域への援軍移動を妨害する一大策略のはじまりでした。
政府首脳は御前会議で、明治帝に外交活動の限界と開戦準備を奏上します。
明治帝は、これを再考し、外交による問題解決の道をさがすよう命じました。
奇しくも同じころ、ロシアの皇帝ニコライ2世もまた、和平への道を模索します。
幼い娘たちの笑顔をみて、自分は父帝のように強くないと皇后に告白する姿は人間的ですが・・・。
その勅書は、極東総督ら主戦派の喜ばないものであり、アレクセーエフは無視して戦争準備に没頭。
日本でも、たび重なる御前会議や首脳会議を経て、しだいに開戦へ舵を取ります。
連合艦隊では、東郷司令長官に機密命令が伝えられました。
副官が命令書の封を切るシーンは、歴史の動く重みが感じられますね。
ここに日本海軍は開戦を決定し、運命の時は目前に迫りました。
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『坂の上の雲』 子規、逝く2010.12.12 Sunday
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JUGEMテーマ:エンターテイメント帰国した秋山真之は、新設された海軍学校の戦術教官に任命されました。
そこには各艦隊の参謀となる気鋭の士官たちが集まり、はやくも戦術論をたたかわせます。
ここでの図上演習教練で真之が語ったのは、単に戦術講義だけでなく、指揮官の覚悟でした。
誤った作戦を実行すれば、何百人が乗った軍艦を沈め、多くの犠牲を出すばかり。
その責任は、きわめて重いと説きます。
当然のことのようですが、人はこの陥穽に落ちやすいことを、歴史は証明しています。
多くの兵の命を預かる指揮官、あるいは多大な税金を運用する大臣や官僚らの責任のことですね。
その後、見学した高橋是清の案内で、真之は華族女学校の演劇を観ます。
そこでは、稲生季子との出会いが・・・・・・。
いっぽう、兄の秋山好古は、天津の駐屯軍総督となっていますが、彼の任務も難儀なもの。
後進国である日本の租界地区は、道路整備もままならず、泥に足をとられる場合も。
好古は、率先して道路作りに汗を流しますが、そこに来たのは袁世凱。
義和団壊滅後の清国で頭角をあらわした実力者でした。
好古は、生まれもつ東洋的豪傑の気概で彼と付き合い、しだいにその敬意をえます。
酒の飲みくらべや、袁世凱の軍団との邂逅シーンは、面白くもスケール感がありました。
東京の根岸では、正岡子規が闘病生活を続けていました。
律の看病も苦労ですが、包帯の巻き方がきつかったり、子規も大変です。
それでも新たな俳句活動に邁進する子規。
病に悩み、かつ文学への情熱を失わない人物の姿を具現する香川照之氏の鬼気迫る演技です。
その子規も、ついに帰らぬひとに。
律が葬儀の列にまじって歩くつらい姿を、真之は見守りました。
ロシアの南下政策は、日本にとりさらに脅威となり、政府も国民も緊張するばかり。
次回は、とうとう外交から開戦へと進むことになります。
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『坂の上の雲』 日英同盟2010.12.05 Sunday
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JUGEMテーマ:エンターテイメント
1年ぶりのドラマ。相変わらず豪華な画面です。
でも、正岡子規の病状とその活動は見ていて辛い気持ちでした。
さて、北清事変がおこり、秋山好古は騎兵をひきいて出動。
進駐先で、ロシア軍の略奪行為をまのあたりにします。
ロシアとの戦争に突入することを恐れる伊藤博文は、奇手に出ました。
それは、日本の脅威となっている当のロシアと盟約を結ぶこと。
が、外務大臣に就任した小村寿太郎は、イギリスとの同盟を進めていました。
伊藤は、単身ペテルブルクに赴いて、和平派のウィッテに会います。
しかし、そのウィッテは皇帝ニコライ2世から遠ざけられており、主戦派が権力をにぎりました。
伊藤は歓待されて交渉がうまくいったと満足しますが、その後のロシアからの通知で憮然とします。
その内容は、日本との対等な交渉を絶望視させるものでした。
海上勤務にはげむ秋山真之のもとには、親友の広瀬武夫の消息が。
広瀬は、ペテルブルクで令嬢アリアズナとの恋が深まる一方で、日露開戦を予感していました。
ロシア海軍士官のボリスも、アリアズナをあきらめ、帰国する広瀬のため演奏会に参加。
将来の戦場での再会を思いながら、握手して別れます。
アリアズナがピアノで弾く「荒城の月」は驚きでした。
ついに日英同盟が実現して、日本国民はお祭り騒ぎです。
しかし、当の小村は今後の苦難を思い、きびしい表情のままでした。
いよいよロシアのシベリア鉄道建設や旅順要塞の構築は加速し、さらなる風雲が増します。
次回は秋山兄弟も運命の転機を迎えるのでしょうか。
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